簡単にいうと…
製作行為の材料は、設計に対してただ受動的なわけではなく、その分子構造&エネルギーの特性によって、能動的な役割を果たしている
というお話です。
詳しくいうと…
物質は受動的?
設計される加工材料
たとえば、今晩寝るためのベッドを作りましょう。
樹木を切り倒して、鋸で切断し、そうして出来た手ごろなサイズの木板を何枚か、釘留めで箱型に組み立てれば完成です。
さてこのとき、何が起きているのでしょうか?
まずわたしたちは、①「ベッドの箱型イメージ」を思い浮かべて大雑把な設計図を描き、次いで②そのイメージに沿って樹木の加工・組立を行ないました。
製作とはこのように、設計図と材料が必要になりますね。
そしてわたしたちが日頃、何か作られた物―たとえば家とか、時計とか、パソコンとか―を眺めて、その製造プロセスを想像するときも同様に、”ああ、これこれの材料が、設計図の形に切り出されて、組み立てられてるんだな。そんなの当たり前じゃん”と感じます。
そこで古代ギリシャの哲学者・アリストテレスはこう思います:

「同じものにでもあらゆる意味の原因がありうる(…)たとえば同じ家について言うも、その家のできる運動の出発点は技術であり建築家であるが(…)その質料因は土や石であり、その形相因は家のなにであるかを表わす説明方式(ロゴス)である」―『形而上学』第三巻 第二章
ここでアリストテレスは、事物を変化させる原因をいくつか列挙しています。
ここで言われる質料因とは材料であり、形相因とは設計イメージのことです。そして、後者の設計イメージの優位性のもと、材料が任意に加工されると考えます。
アリストテレスのこうした考え方は、わたしたちの素朴な感じ方とマッチしています。つまり、「設計イメージの能動的な働きによって、材料が受動的に加工される」という技術観です(2500年前の哲学が、現代のわたしたちの日常感覚を構成しているというのも、よく考えればすごい話ですね)。
実際、このアリストテレスの定式「設計イメージ(能動) → 材料(受動)」は、その後の物質観・技術観をほとんど規定することになりました。
物質たちの世界
「でも、それって変じゃない?」と考えることができます。「材料って、人間によって切られたり成形されたり、為されるがままの受動的な物質なんだっけ?」と。
たとえば、先ほどのベッドの例に戻りましょう。
「樹木から切り出した木板」と先ほどは簡単に言いましたが、厳密に言うと、切り出す以前に樹木種の選定が必要です。
たとえば広葉樹(サクラやケヤキ)はとっても硬いため、人力の鋸挽きではとても歯が立ちません。鋸の刃が木に食い込まないのです。
では、と針葉樹(マツやスギ)を選んだとしても、縦切りにするか横切りにするか、あるいは樹木の繊維に沿って切るかに応じて、水分を含むことによるその後の変形具合が変わってきます。そう、木は切った後も形が変わるのです。だから切り出した木板も、数か月くらい乾燥させる必要があります。もし含水率の高い状態のまま木板を組み立ててしまったら、そうして完成したベッドも遅かれ早かれ歪み、使い物にならなくなります。
こうした事情は、材料として粘土・金属・プラスチックを用いる場合も同様です。いずれの材料も、それぞれに固有の加工性質(癖)を備えています。だからこそ、温度・湿度・圧力・他材料との混淆などの管理が、また加工のために多くの専用設備が、必要とされるわけです。
こうした事実を考え合わせると、「材料は人間の設計イメージに沿って成形されるがまま」とはとても言えないことが分かります。
つまり、人間が「設計に沿ってこれこれの材料を組み立てよう」と考える際、材料がその設計行為自体に対して深刻な仕方ですでに関与し、設計に影響を与えています。設計が材料に能動的に働きかける以前に、可能な材料たちがすでに当の設計をしばしば方向付け、限定しているわけです。
このことは、「新材料の発見」について特に言えます。それまでになかった新しい導電材料や可塑性材料を用いることで、はじめて半導体やプラスチック製品の設計が可能になりました。材料の性質を全く考慮の外に置くような設計などありえません。
こうしてみると、「設計に対して受動的な材料」などとはとても言えませんね。
物質たちの構造&エネルギー
もう2点、材料に特有の世界を見てみましょう。
それは物質構造とエネルギーについてです。
先ほど、木板を切り出す際に、樹木の繊維について少し触れました。樹木な多孔質の繊維から構成されており、これによって生きている間は水分を幹や枝の隅々にまで浸透させ、切り出されたあとも木材としての柔軟性や断熱性を保持します。
水分の浸透、柔軟性、断熱性…ということはつまり、これまた当たり前のことですが、木は物質であると同時にエネルギー体でもあります。化学エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギーなどの蓄積・流動の結節点のひとつが木なわけです。
しばしばわたしたちは忘れがちですが、物質なきエネルギーはなく、エネルギーなき物質もありえません。
このことを、19世紀ドイツの生理学唯物論者ルートヴィヒ・ビューヒナーは次のように表現しています:

「運動しない物質が存在しないのは、力をもたない質料が存在しないのと同様であり、物質なき運動は質料なき力と同じく、存在しない」
―『力と質料』
たとえば鉱石について思いを馳せてみましょう。
地下深くの岩盤内で、何万年もかけて生じ続けている化学エネルギー反応が、多種多様な元素化合物を生み出し、鉱脈が築かれます。採掘された個々の鉱石は、その元素化合物の種類に応じてこれまた多種多様な分子構造を見せてくれます。鉄は頑強な炭素結合をしており、ガラス状態の分子構造は光線を反射せず透過させるため透明に見えます。
さらに、鉱石を高圧・高温環境に置いて溶かしてみましょう。圧力・熱エネルギーを加えるに応じて、鉱石の分子構造もだんだんと変化してゆくのが分かります。
つまり、物質構造とエネルギーは、互いに切っても切れない相関関係を取り結んでいるのです。
ある製作行為が、これこれの材料を選ぶとき、たいていの場合それは、どうしてもその類いの物質でないと実現できません。
それは、当の物質に特有の分子構造、およびその分子構造によるエネルギーの折衝方法、に由来するさまざまな性質―硬度・強度・耐熱性・断熱性・電導性・撥水性、あるいは加工のしやすさ、などなど―が技術屋のお眼鏡にかなった、ということです。
設計図に従って採用する材料は、何でもいいわけではありません。その分子構造&エネルギー折衝の能力を見込んで、物質は材料として採用されるわけです。
設計する加工材料たち
こうして、材料は、それぞれに固有の多様な可能性をもっていることが分かりました。
生産された技術的対象とは、これら物質の豊穣な可能性を汲み取り、それを延長し、天然のままでは成し遂げられなかったその可能性を実現したものと言えます。
最初に登場したアリストテレスも、こう述べていました:

「ところで、一般に、技術は、一方では自然がなしとげえないところの物事を完成させ、他方では、自然のなすところを模倣する」
―『自然学』第二巻 第八章
こうしてみると、設計をしているのは人間なのか、それとも、材料の可能性たちが人間を通してその可能性を天然とは異なる仕方で実現しているのか、だんだんとわからなくなってしまいそうになるほどです。材料のもつ可能性なくして、人間の設計行為もありえないためです。
そんなわけで、次からは、「材料たちがその可能性を、人間の技術を通して実現している」様子を、構造物・製造物のそれぞれの技術的対象のケースにしたがって見てゆくことにしましょう。
生産された技術における材料の働き
自然加工物
自然加工物は、材料そのものです。
無機物(土・岩石・鉱石)や有機物(植物・動物・原油)が加工されて出来上がります。
粘土・合金・コンクリート・ガラスや、植物材・樹脂・繊維などの種類があります。
多くの自然加工物は、素材として、後述する構造物・製造物の一部となります。
構造物
構造物は、材料である自然加工物を組み立てて、荷重や応力に耐える構造へと仕立て上げたものです。
たとえば一軒の家は、コンクリートの基礎、木材の骨組み、石膏ボードの壁などから構成されます。
この家は多様な力をさばきます。まずは自身の重量に耐え、居住者である人間や家具の重量にも耐え、地震の揺れに対して骨組みを柔軟に曲げていなし、風圧に耐え、その壁は雨水の侵入と熱エネルギーの放散を防ぐ…といった具合です。
ここで、たとえば木造だと、幾重もの繊維から成る柔軟な木材が地震を上手くいなしてくれ、多孔質ゆえ空気のクッションを含んでいるため断熱効果も期待できます。
レンガ造りだと、すでに焼き固められているため火事になっても歪みにくく、また無機物を用いているため比較的長持ちします。
コンクリート造りでは、鉄筋や鉄骨と組み合わせることで応力に対してとても頑丈になるため、大規模マンションや高層ビルを建てることが可能になります。
構造物は、上記の素材ごとにその組み立て方(構法)も大変異なるのが特徴です。
製造物
製造物は、それが主に利用するエネルギー(以下、Eと省略)の種類に応じて、さまざまなものがあります。
1つひとつ見てゆきましょう。
運動の技術
運動の技術に属する製造物では、ハンマーや自動車、エンジンなど、運動Eが存分にふるまわれています。
このため素材として、強力な運動Eによって自壊しないだけの耐久力が求められ、このため素材としては金属(とくに鉄合金である鋼)が最も多く用いられます。
熱の技術
熱の技術に属する製造物では、電気ストーブ、エアコン、冷蔵庫など、熱Eの交換・発生がひんぱんに行なわれます。
このため、各製造物の核となる技術要素(パイプ、圧縮機、膨張弁など)の素材として、熱を外部へ逃がしたり逃がさないようにさせる、熱伝導性にかかわる金属・合成樹脂(断熱材、熱伝導材)がとくに用いられます。
電磁気の技術
電磁気の技術に属する製造物では、発電機、電子回路、磁石など、電気と磁気がたえず流れています。
このため素材として、電気を流れさせたり逃がさないような導電率に関わる金属(導電体や絶縁体、半導体)が、そして磁力線を発する金属(磁性体)が主に用いられます。
光の技術
光の技術に属する製造物では、望遠鏡、カメラ、光ファイバーなど、光Eが多様に屈折させられています。
このため素材として、光を反射・屈折・透過させる金属(鏡・レンズ・ガラス)が用いられます。
音の技術
音の技術に属する製造物では、マイクやスピーカーなど、音Eがしばしば電気Eと相互変換させられています。
このため素材として、音Eを上手く拾ったり再現したりするゴム・合成樹脂・金属製の振動板を用いる点が特色です。
原子力の技術
原子力の技術に属する製造物では、原子炉や原子力電池など、原子力Eの放射がたえず行なわれています。
このため素材として、原子力Eを放射する放射性物質、原子力Eの放射をシャットアウトさせる中性子吸収材などが用いられます。
以上のように、わたしたちの生活と産業を構成する技術的対象は、それがなくては存続も設計も不可能になるようないろいろな材料(木材/レンガ/コンクリート、あるいは鋼・断熱材/伝熱材・導電体/絶縁体/半導体/磁性体・鏡/レンズ/ガラス・振動版・放射性物質/中性子吸収材…などなど)から構成されています。
これら材料の各々の性質は、先述したように、いずれもその特異な物質構造とエネルギー反応に由来しています。
自然という名の実験室から生まれたこれら材料は、とはいえ天然の環境内ではごくごく限られたパフォーマンスしか発揮しておらず、しばしばまったく無用の長物とすらなっていました。
けれど、ホモ・サピエンスたちの試行錯誤によっていまあるようなフィットした環境内で、技術的対象の一部として、その可能性を存分に発揮しているのでした。
つまり…
製作行為の材料は、設計に対してただ受動的なわけではなく、その分子構造&エネルギーの特性によって、能動的な役割を果たしている
というお話なわけです。
まあ、そもそも、能動/受動というカテゴリ自体が古臭いというのはあるが……それでもわしらの素朴な日常感覚に浸透しているカテゴリでもあるからして、不当にも材料がただただ人間の思考イメージの押し付けられる受動的対象としか見られていないのじゃとしたら、その素朴な認識をあらためんとのぅ。
実際、材料は、人間たちの製作行為の可能性を一手に引き受けておるんじゃからの。
歴史のツボっぽくいうと…
- 紀元前4世紀アリストテレスの著作古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、『形而上学』『自然学』など万学に通じる著作を残す
- 12~16世紀アリストテレス哲学の継承中世ヨーロッパで、アリストテレス哲学が当時のキリスト教神学の体系に導入されるなど、隆盛を極める
- 19世紀自然科学的唯物論の登場ヨーロッパを中心に広まったマルクス唯物論、および当時進展を見せた自然科学の影響下で、ビューヒナー、モレスコット、フォークトらが、当時最新の自然科学の知見を取り入れた唯物論を展開する
- 1932年機械学の提唱フランスの土木工学者ジャック・ラフィットが、『機械の科学についての省察』を公刊。反射機械/受動機械/活動機械の分類など、機械分類のための機械学(メカノロジー)を提案する
- 1958年技術的個体化論の提唱フランスの哲学者ジルベール・シモンドンが、『技術的対象の存在様態について』を公刊。物質の構造とエネルギーの観点から、アリストテレスの質料形相論を批判する
<参考文献>(2019/12/28 visited)
・アリストテレス『アリストテレス全集3 自然学』出隆、岩崎允胤訳、岩波書店、1968年。

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/6447/4/kenkyu0020401250.pdf